未だちらほらとニュースで見かけますが、伊勢の例の事件。
初期の報道で「伊勢の山中で」と書かれているのを目にする度に嫌な予感はしてましたが、場所がまさかの砲台山。
せめてそこは選ばないで欲しかったなぁ・・・。
私が行ったのはもうずいぶん前ですが↓
http://itomaki.diarynote.jp/200801140051330000/
http://itomaki.diarynote.jp/200801142256560000/
とてもいい所でした。
当時は記念碑の足元にファン同士の交流ノートが収められていて、色んな人が色んな思いを書き込んでいました。
今でもまだあるのかどうか。
アニメのファンだったとのことですが、もし本当に『半分の月がのぼる空』を読んだことがあったなら、あれは「死ぬ」物語ではなく「生きる」物語だったと必ず分かるハズなんですが。
交流ノートも読んだのでしょうか。
あんなすぐにでもボロボロになってしまいそうなノートが、たくさんの善意に支えられて保存されてきたことに、何も感じることはなかったのでしょうか。
もうどうしようもなくて、死ぬことでしか解決できない、と思う気持ちはよく分かります。
自分もそれなりに色々あったので。
ただ、自分はこうも思いました。
死ぬ覚悟が出来ているのなら、もう怖いものは何もないでしょう?
だったら色々試してみてからにしませんか。
無関係な人様に迷惑をかけるのは厳禁ですが、それ以外ならなんでも良いんです。
ポイントは今まで自分が思いもつかなかったこと。
これが最期、と決めて打ち込んでみると、びっくりな結果が出たりします。
まぁちょっと騙されたと思ってやってみてくださいよ。
ちなみに私の場合は、結婚して子供が出来ました。
なので、ウチの嫁は命の恩人なのです。
###################################
関係無いのですが、自分が好きなセリフでふと思い出したので貼り付けてみたり。
「どうやって死んだとしても、なんのために死んだとしても、同じことだろ。いつ死ぬのだって同じさ。数日間、死ぬのが先になったところで意味がない。死んだら、それで終わりだ。それこそ、何年か前に死んでいたとしても、五十年後に老衰して死んでも、どうってほどの違いはない」
「その若さで虚無主義かね?」
「違うさ。いつ死ぬのも同じなら──いつだって死には抗ってなきゃならないってことだ。」
初期の報道で「伊勢の山中で」と書かれているのを目にする度に嫌な予感はしてましたが、場所がまさかの砲台山。
せめてそこは選ばないで欲しかったなぁ・・・。
私が行ったのはもうずいぶん前ですが↓
http://itomaki.diarynote.jp/200801140051330000/
http://itomaki.diarynote.jp/200801142256560000/
とてもいい所でした。
当時は記念碑の足元にファン同士の交流ノートが収められていて、色んな人が色んな思いを書き込んでいました。
今でもまだあるのかどうか。
アニメのファンだったとのことですが、もし本当に『半分の月がのぼる空』を読んだことがあったなら、あれは「死ぬ」物語ではなく「生きる」物語だったと必ず分かるハズなんですが。
交流ノートも読んだのでしょうか。
あんなすぐにでもボロボロになってしまいそうなノートが、たくさんの善意に支えられて保存されてきたことに、何も感じることはなかったのでしょうか。
もうどうしようもなくて、死ぬことでしか解決できない、と思う気持ちはよく分かります。
自分もそれなりに色々あったので。
ただ、自分はこうも思いました。
死ぬ覚悟が出来ているのなら、もう怖いものは何もないでしょう?
だったら色々試してみてからにしませんか。
無関係な人様に迷惑をかけるのは厳禁ですが、それ以外ならなんでも良いんです。
ポイントは今まで自分が思いもつかなかったこと。
これが最期、と決めて打ち込んでみると、びっくりな結果が出たりします。
まぁちょっと騙されたと思ってやってみてくださいよ。
ちなみに私の場合は、結婚して子供が出来ました。
なので、ウチの嫁は命の恩人なのです。
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関係無いのですが、自分が好きなセリフでふと思い出したので貼り付けてみたり。
「どうやって死んだとしても、なんのために死んだとしても、同じことだろ。いつ死ぬのだって同じさ。数日間、死ぬのが先になったところで意味がない。死んだら、それで終わりだ。それこそ、何年か前に死んでいたとしても、五十年後に老衰して死んでも、どうってほどの違いはない」
「その若さで虚無主義かね?」
「違うさ。いつ死ぬのも同じなら──いつだって死には抗ってなきゃならないってことだ。」
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